映画監督の押井守さんが、よく後進の育成に力を入れたらどうかと言われるが、育成される方がそれなりに準備や覚悟をしていないと指導する気にもならない、というようなことをどこかで書いていました。なかなか手厳しいなと思いますが、年齢を重ねてきていろいろと人にアドバイスする機会が増えてくると、確かにそうだよなぁ、と感じることが結構あります。
学校を終えて社会に出ると、教えることが仕事や義務になっている人からモノゴトを教わる機会はほとんどなくなり、教えるインセンティブも義理もない人達から教えてもらわないといけなくなります。いくら長生きしても知らないことやわからないことは次から次へと出てくるので、そういった人達にいかにうまく育ててもらうかは生きていくうえで重要な技術です。
ここでは自分が教わる・教える側で経験したこと(多分に失敗を含みます)から、うまく育てられるための技術(というか心構え)について思うことを並べてみます。
まずは素直に話を聞く
時々、向こうから話を聞きに来たのに「本当ですか」「必要ですか」と言わんばかりの態度をいきなり取る人がいます。(変種として「必ずしもそうではないですよね?」とツッコんでくる人も含みます。)私も当然間違えることはありますし、トンチンカンなアドバイスをすることもあります。とはいえ、いきなり「本当ですか」とこられると、教えるモチベーションはだだ下がりです。「じゃあ、勝手にやりなよ」と言いたくなります。言わないにしても適当に話を終わらせたくなります。
言われたことを受け入れるのと、話を聞くのは別のことです。何かを教えてもらうときは価値判断は保留して、まずは相手の話を聞いて理解することに徹すると、教える側から多くのことを引き出すことができます。
学ぶスピードは自分でコントロールする
新しいことを学ぶときはわからないのが当然です。ですが、わからないでいる状態が長く続くとストレスになります。そうなると、人間は学ぶのをやめようとするか、あるいはわかったつもりになってストレスを軽減しようとします。これは人間の本性に根付いた回避行動なので避けることはできません。
厄介なことに教える方は大抵教えることをよくわかっているので、このストレスを感じません。したがって立板に水のごとく次から次へと新しいことを伝えてきます。このとき教える側のペースをそのままにしておくと、あっという間に教わる側にストレスが蓄積し、話を聞いていない状態(学ぶのをやめてしまう)か、聞いているけど理解していない状態(わかったつもり)に陥ります。
話をしている人を遮るのは心理的に大変なことですが、話がわからなくなってきたと思ったら正直にそれを伝えて、ペースダウンしてもらう、あるいは一旦そこで止めて自分が咀嚼する時間を作ってもらうようにしましょう。もし、そうしてもらえない場合はその人から学ぶことは(少なくとも現時点では)諦めたほうが良いかもしれません。
指導とマウンティングを区別する
残念なことに、人を育てることよりも、自分が優位に立っていることを確認するために指導をおこなう人がいます。この手の人達は得てして非常に熱心に指導するので、一見「いい人」に見えます。しかし、指導のペースを変えてくれるようにお願いしたり、言われたことから外れたことをしようとした瞬間、態度が豹変します。
さらに厄介なことに、そういう人達の中には自分がマウンティングのために指導しているという意識がない人もいます。そうなると「なんで、こんなに一生懸命教えているのに、言われたようにやらないのか」というように、自分の善意を受け取らない失礼なヤツ的な怒りを持って接してきたりします。
新しいことを学ぶためには、自分で考えて手を動かしてみることが重要です。その過程で言われたことと違うことをやってモタモタしたりするのは学びに必要なことです。それを許さないような雰囲気を感じたときは、指導者はひょっとしたらマウンティングしたいだけなのかもしれません。(困ったことに、そのような人を本当の意味での指導者に変えることは難しいことが多い気がします。そういうときは恩義も何もかも捨てて逃げ出すことをおすすめします。)
何を受け入れるかは自分で決める
何かを学ぶのは自分のためにやることです。いくら偉い先生が言うことでも、周りの皆がやっていることでも、自分で理解できなかったり納得できないことを受け入れる必要はありません。無理に受け入れようとしても、使いこなすことはできず知ったかぶりになるのが関の山です。
最初は理解できなくても時間が経てば自然と納得できるようになることもあります。あるいは教わったことがやはり間違っていたということもありえます。今すぐ理解できなくても、あとで参考になるように「教わったこと」と「納得したこと」はきちんと整理するようにしておくとようにしましょう。
ちょっと脱線になりますが、一般に「聞いたこと」と「納得したこと」を明確にわけておくことは「わからない状態」のストレス軽減になります。そして適度なストレスは、その状態を解消しようとする健全なモチベーションになりえます。また整理することで記憶への定着も進みます。そうすると、あるときふと何かのキッカケで理解できる瞬間が来ることもあるかもしれません。そのまま忘れてしまったならば、それはそれでストレスが消えていいですし。
感謝して卒業する
指導者の一番の喜びは指導している人が成長することです。成長の一番のバロメーターは自分の指導が必要でなくなることです。裏を返せば、成長が実感できずいつまでも指導が続いている状態というのは、指導者にとってあまり幸せな状況ではありません。そうなると指導にも熱が入らなくなってきたり、ついつい「なんでできるようにならないんだ」と愚痴ったり辛く当たったりすることも起きてきます。
人を育てるというのは本当に難しいことで、指導者の力量だけではどうにもならない面があります。人間なので、なんとなく相性が合わない、という理由で指導がうまくいかないこともあります。そういうとき、ただなんとなく育てる・育てられるという関係をダラダラ続けていくのは、指導する方にも指導される方にも百害あって一利なしです。
指導される側から終わりを切り出すのはなかなか難しいかもしれませんが、なにかうまくいかない、と感じる時は一旦指導する・される関係を終わりにするのも重要な選択肢です。そういう場合でも教わったことが後になって響いてくるのはよくある話です。いままで時間を割いてくれたことに感謝して、気持ちよく卒業できるようにしましょう。