四色問題という有名な問題があります。Wikipedia によると「平面上のいかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗り分けるには4色あれば十分だ」ということを証明せよ、という問題です。この問題は1976年に証明されたのですが(なので Wikipedia の見出しは四色定理になっています)、その証明方法が一部(ひょっとしたら多く)の数学者たちには「証明は正しい(のかもしれん)が、納得がいかない」と不評のようです。
正しいのかもしれないが納得できないという経験は誰にもあると思いますが、何が納得できて何が納得できないのか、その区別は正しさほどハッキリしていません。四色問題で考えるのは難しすぎるので、もっと簡単な問題で納得できるもの・できないもの、その境界がどこにあるのか考えてみました。
15 + 32 = 47 を説明する
ごく単純に「15 + 32 = 47」を様々な方法で説明してみて、それが納得できるかどうか考えてみます。(数値は適当に選んだもので、特に意味はありません。)
まず最初の説明です。
【A】15 は 10 と 5 からなる。32 は 30 と 2 からなる。10 と 30 を足すと 40。5 と 2 を足すと 7。40と 7 を足すと 47。したがって答えは 47。
これはよく納得できます。十の位と一の位にわけて各位ごとに足したものを、最後に足し算する。何も不自然なことはありません。こう説明してくれたら、なるほど足し算というのはこうやって解けばいいのかと納得できます。
では、次はどうでしょうか。
【B】15 は 7 と 8 からなる。32 は 21 と 11 からなる。7 と 21 を足すと 28。8 と 11 を足すと 19。28と 19 を足すと 47。したがって答えは 47。
形式的には【A】とまったく同じですが。。。これはちょっと納得しがたいです。一つ一つの手順に間違いはなく曖昧なところもありませんが、行き当たりばったりに分解したり足したりしているだけのように見え、他の足し算は一体どうやって解かれるのか見当がつきません。
それでは、これはどうでしょう。
【C】15 は 12 が1個と 3 からなる。32 は 12 が 2個と 8 からなる。12 が計3個で 36。残りの3と8を足すと11。36 と 11 を足すと 47。したがって答えは 47。
【A】とは違いますが、これはこれである規則性をもって計算を進めているように見えます。具体的には、この人の頭の中では十二進法で数字が表現されていようです。十進法に慣れしたんだ私からするととっつきにくいものの、これはこれで説明として納得できます。
最後にもう一つ。
【?】「15」と「32」という数字はそれぞれ「蛇」と「卵」を意味する。蛇に卵を与えると蛇はそれを飲み込み動けなくなり眠りに落ちる。「眠り」を意味する数字は「47」である。したがって答えは 47。
はい、まったく納得できません。15, 32, 47 という数字は式中に出てくるものと一致しますが、なぜそれが「蛇」「卵」「眠り」なのかまったくわかりませんし、蛇が卵を飲み込んで眠ることと足し算が何の関係があるのかも不明です。
納得できる説明とはなんだろうか
私から見ると【A】と【C】は納得できる説明です。それと引き換え【B】と【?】は納得できません。これらの説明を分けるものはなんでしょうか。
まず、【A】と【B】を比べると、ある形式にしたがえば納得できる、というものではないと言えます。「こういう語り方をすれば納得してもらえる」というようなパターンはないとも言えます。説明である以上、なにかしら既存のパターンに嵌めて語ることにはなるのですが、そのパターンを場当たり的に使って体裁だけ整えても納得いく説明にはなりません。
パターンを体系的に使うことが重要なのは【A】と【C】の対比にも現れています。【A】と【C】で使われているパターンは違いますが、どちらもどんな足し算の問題にも一貫性をもって適用できるやり方で使用されています。一貫性があると【C】のように見慣れないやり方であっても、それはそれで説明になっているなと感じます。
【?】の納得できなさは【B】の場合と全く違います。数字が蛇や卵になってしまう違和感はとりあえず無視したとしても、その説明の中に出てくる語り方が他の足し算の問題にどう適用できるのかが全く分かりません。あまりに分からないので、元々このような語り方があったのではなく、問題を見てから適当にデッチあげたのではないかと邪推したくなります。(実際、この例は私のデッチあげです。)
まとめてみると、
- 正しい説明のパターンが問題以前に存在して
- そのパターンを他の問題にも適用できるやり方で一貫性をもって使われている
ときに納得できる説明となるようです。
納得のいく正しい説明は常に存在するか
数学の場合、正しい説明のパターンは定理という形で事前に存在しています。(なかには自分で説明のパターンから作ってしまう望月先生のような方もいらっしゃいますが。)四色問題をきちんと調べたわけではないので確実なことは言えませんが、四色定理の(最初の)証明が不評だったのは、問題の分解の仕方が四色問題特有で他の問題に使えるようなものでなかったからではないかという気がします。(そういえば、前述の望月先生も自分が作った理論は abc 予想の証明以外に今のところ使いみちが見当たらないので、他の数学者は勉強する気にならないのではないか、というようなことをどこかで書かれていました。)
今後研究が進むと、どんな数学者でも納得する四色定理の証明が出てくるかもしれません。しかし可能性として「正しい証明はどれも納得できるものではない」ということはないでしょうか。また数学のようにきちんと定式化ができない問題(たとえば翻訳など)では、せいぜい望めるのは「正しいけれど納得できない説明」が関の山で、下手をすると「だいたい(あるいは、まあまあ)正しいけれど、それでもまだ納得がいかない説明」が限界ということもあるかもしれません。
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