博士論文の思い出

なんとなく自分の博士論文を読み返してみたら、いろいろな思い出が蘇ってきました。

七転八倒の日々

私は仕事をしながらNAISTの博士課程の学生になりました。入学料やら授業料やら大きな出費になるので、一刻も早く博士を取得しようと思っていたのですが、研究は計画通りに進んでくれるものでもなく、結局予定より1年以上長くかかってしまいました。

特に最後の半年は大変でした。思ったような結果が出ず、ああでもないこうでもないと試しているうちに時間ばかりが過ぎ日に日にストレスが溜まっていきます。夜中に突然アイデアを思いつき、これでなんとかなるのではという希望を持って次の日に試してみるものの、やはり結果が出ずがっかりして帰宅する、というような日が続きました。さすがに博士号を諦めようと思ったのも一度や二度ではありません。

それでももがき続けていると、なんとか論文にできる結果(=かろうじて統計的に有為な差があるという程度のもの)を得ることができました。正直「なんとか捻り出した力技」感が満載で自分でもなんだかなぁと思ったのですが、似たアイデアを見たことはないし、兎にも角にも自分にはそれしかなかったので、それをもって博士論文を仕上げることにしました。

産みの苦しみ

博士論文にはたいてい複数の研究成果が含まれています。とはいえ、単に研究成果を並べただけでは博士論文にはならず、まず、なにかしら大きな問題を提示したのちに、各研究がその解決に向けてどのように貢献したのか、ということを一貫性を持って述べる必要があります。(少なくとも理想的には)

私の博士論文は、既に発表していた論文2本の内容に最後に捻り出したもう一つの研究を加えた構成にしようと思っていました。ところが、発表済みの研究をしていたときには、特に博士論文を書くことを意識していたわけではないので、そのままの形で持ってこよう(要するにコピペ)としてもどうにも収まりません。ザックリとした序章とモヤッとした終章でサンドイッチにして体裁だけをつけた草稿を作ってみたものの、逃げをうっている姿勢がみえみえで自己嫌悪に陥りました。仕方がないので覚悟を決めて既存発表の部分もほぼ全て書き直すことにしました。

面白いもので、覚悟を決めて考え直してみると、自分のやってきた研究は、バラバラな無関係の問題を解こうとしていたわけではなく、ある大きな問題のうち手におえそうな部分問題について解決方法を提案していると解釈できることに気づきました。(同じ人間がやっている以上、興味のむくことは意識的にではなくても関連がうまれるのかもしれません。)

最初はちょっと無理なまとめかたかと思ったのですが、しぶとく考え続けていると案外悪くないストーリーに思えてきました。意外だったのは、一つストーリーができると、既に終わってしまった研究内容についても新たな視点で見直すことができるようになったこと。仕方なく始めた書き直しが、なにか新しい研究の話をしているかのような気分になりました。

博士論文を書き終えて

とはいえ、それですんなりと最後まで書き終えられたわけではなく、いろいろと苦労もありました。ですが、そういった苦労も「あー、これが博士論文を書くということなんだ」という新鮮な経験の一部として前向きに受け止められるようになりました。実際、論文ができあがったときにはそれまでに感じたことのない充実感を感じました。

私の博士論文は特に人から引用されることもなく、ひっそりとNAISTの電子図書館に収録されています。ですが、私は胸をはって「これが私の博士論文です。是非読んで下さい。」と言うことができます。博士を取ることは簡単なことではありません。しかし、それにめげず、妥協せず、自分の納得できる博士論文を仕上げられたらば、それに見合う自信を持つことができます。私にとっては博士という称号よりも、その自信を得られたことのほうがずっと重要です。

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