たまにはロボットになるのも悪くない

ある人を指して「ロボットのようだ」ということがあります。動きの正確さとか持久力の高さを褒めるときにも使われますが、どちらかというと「人間っぽくない」というネガティブな印象をともなっていることが多い気がします。ですが、ロボットっぽいのはそんなに悪いことでしょうか。

先日 “What’s So Bad About Being Zombie?“(「ゾンビになるのも悪くない」 )という記事を読んで思わず唸ってしまいました。ざっくり言うと、ゾンビになれば人生における様々な悩みから開放されて楽に生きれるんじゃない?、という問いかけです。とんでもない暴論に聞こえるかもしれませんが(まぁ実際そうですが)、我が身を振り返ってみると、アレコレ悩んでいたことが全て良い経験になったわけでもないので、確かに一理あるように思います。

とはいえ、ゾンビは見た目もアレですし、常に悩みなく生きているのも折角人間に生まれたのにもったいない。そこで考えたのは「たまに(あまり賢くない)ロボットになる」という方法です。具体的には、ある時間だけ特定の作業を決められた順番で黙々とこなす、ということを生活の一部に取り入れることです。

たとえば、朝の支度をするときに「効率的に片付けるためには、コーヒーメーカーをセットして待っている間に、洗い物をやったほうがいいかな。おっと、この皿は油が残ってるぞ。先にグラスをあらうか。いや待て、先にこのまな板を。。。ところでさっき見た会社のメール気になるな。コーヒーできるの待つ間に一本返事しておくか。あ、いけない、クリーニング取りに行かなきゃ、会社の帰りに行く時間あるかな…」というようなことをいちいち考えず、毎朝決まった手順で何も考えず黙々と準備をするというようなことです。

なんだそんなことかと言われるとそれまでなのですが、私にとっては結構効果がありました。まず決められた手順で物事を進めるとどれくらい時間がかかるかが決まります。それはもうどうしようもない(ロボットですから)と諦めるしかありません。ですが、結果としてスケジュールを事前によく考えるようになりました。また、時間が足りないものは仕方ないと思えるようになり、優先順序をつけてできないものはできないと諦めるのが楽になりました。

仕事だとロボットのように全てをすますのは難しいですが、それでもやるとなったら黙々とやると心がけると、あれこれ考える過ぎることもなく、仕事とそれ以外の切り替えも以前よりうまくできるようになったと感じています。

たまにロボットになることで、何か目に見えていいことがあったかというと、それはまぁないです。ですが、そういうことは気にしても仕方ないと諦めています。なにせロボットですから。

ロボットというと、人生(ロボット生?)を楽しむこともなくただ「生きている」だけの気味の悪いナニカを連想しがちですが、彼らから見れば、悩み多き人生を過ごしている人間は、自分の作り出した汚泥の中を這いずり回っている気味の悪いナニカに見えるのかもしれません。

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