深層学習の真価

深層学習というと汎化性能の高さや様々なタスクにつかえる汎用性が目立ちますが、個人的には、単純なことしかできない計算ユニットをレゴブロックのように組み合わせてネットワークを作り、あとはデータにフィットするように自動的にパラメータを調整するだけ、という単純かつ応用の効く構成が昨今の「ブーム」とも言える状況の根幹にある気がします。

(脱線になりますが、「データマイニング」も一時期ブームになりましたが、あのときはビジネス側の盛り上がりに比べ研究開発側はそれほど盛り上がらなかった気がします。深層学習えはビジネス側も研究開発側も大いにそして幅広く盛り上がっていて対照的です。)

単純さや応用のしやすさは技術の普及だけでなく発展のためにもとても重要な要因です。研究者やエンジニアは複雑なことや難しいでも難なくこなす人たちと思われているかもしれませんが、実際はそうでもありません。やはりレゴブロックのようにわかりやすくて単に組み合わせることで色んなことができるものは好まれます。ただ、そういう便利なものがないときは躊躇せず(あるいは仕方なく)複雑なことや難しいことに取り組む力を持っているというだけです。

実際に単純だと何がいいのか。まず、実際に何か新しいことを始めるまでの準備期間が短くてすみます。レゴブロックで遊ぶのは誰でもすぐに始められますが、コンピュータのプログラムを書いて遊ぶのには始めるまでに訓練が必要になります。そういった訓練は必要不可欠なものですが、その一方で何かをやりたいという情熱を冷ましてしまう可能性もあります。また実現したいことに向かって進むための能力や経験は、そのための訓練を効率よくやりとげるための能力や経験とはあまり関係ない場合も多々あります。単純なモノはそういったミスマッチを防くことができます。

次の応用のしやすさ。どんなに単純なものでもある特定のことしかできないものは想像力を刺激しません。世の中には現実に縛られず想像の翼を広げることができる人もいますが、そういう人は例外的で大抵の人は与えられた枠の中でモノを考えます。要素技術それ自体が応用しやすく汎用性があるということは、何ができるだろうかと人に考えさせます。制約なく自由に考えるのは難しいことですが、現実に制約があるのにそれを無視しろというよりは、自由な発想が出やすくなると思います。

単純で汎用性があると、他の人の助けをあまり必要とせずに自分の好きなことを試すことができるようになります。世の中究極的には助け合いですが、なにもかも人の助けが必要になってしまうといちじるしく自由が制限されます。モノゴトを始めるときには自由であることが重要です。マインクラフトで関数電卓を作りたいと言っても手伝ってくれる人はそうそういないでしょう。

私の仕事に関係する範囲でも、基本となる深層学習技術が共通言語となり、以前は想像すらできなかったような分野間でアイデアの交換や人材の流通が起きています。長い目で見ると、深層学習がもたらした精度面でのブレークスルーよりも、それがもたらした研究開発界隈での社会的変化の方がより重要な気がしています。

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