語ることは間違えること

100%正しいことを述べるというのはとても難しくほぼ不可能なことのように思えます。どんなことでもなにかしら例外はありますし、話の前提が成り立たない「想定外」の事態も起こります。そういったことを全て考えるのは無理です。もしできたとしても、それを延々と語っても話が長すぎて誰も聞いてくれません。聞いてもらえなければ語っても仕方がないので、おのずと語りは短く、したがって間違いを含むことになります。

間違えない方法

間違えずに語る方法があるにはあります。

まず、同じことを言い方を変えて言い直すこと。「AさんはBさんより背が高い。したがってBさんはAさんより背が低い。」と言われれば反論のしようもないわけです。この例は単純でわかりやすいですが、これが数学記号やら聞きなれない学術用語の中に埋もれ、さらに論文の中で長々と論じられたりすると、見破るのが難しくなってきます。さらに厄介なことに語っている本人もそのことに気づいていなかったりします。

もう一つの方法は「私はこう思う」という但し書きをいたる所につけることです。どうしようもなく間違っていたり矛盾していたりすることでも、それを信じることはできます。「私は○○だと思う」と言わればそれを否定することはできません。論文などでも強く主張するには証拠が足りないかなと思った部分には “We think …” とか入れておくのはよく見られることです。

正しく語ろうとするな

とはいえ、こういった「間違えない」方法を駆使して語ることはおすすめできません。話は議論の余地のないものになるかもしれませんが、聞く側からするとこれほど退屈なものはないからです。また、話し手だけでなく聞き手の方も「間違えてはいけない」というプレッシャーを過度にかけないよう注意するべきです。

何かが語られるときにどこか間違えるのは当然です。それを排除しようとすれば対話も失われます。完璧を目指して何も語れなくなるより、間違ってでも面白いことを語りましょう。

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