今の社会は色々問題がありますが、昔より物質的に豊かになったのは間違いありません。各人が自給自足することをやめ仕事を分業化・専門化することで生産効率を上げ、その生産物を市場を通じて交換することで互いに欲しいものが相対的に安く手に入るようになる、そのプロセスがうまく機能しているからだと思います。その一方で、自分が貢献しているのは社会のほんの一部、何をやっても世の中は変わらないと虚しく感じることが多くなっているのも確かだと思います。
現代研究者の無力感
研究業界でも状況は変わりません。ABC予想を一人で解決してしまったらしい京大の望月先生のような例外もありますが、現代において何もかも自分で解決してしまう自給自足研究はほとんど見られません。これは個々の研究者の能力とか性格のせいというより、現代の分業型研究社会では自給自足研究では十分なスピードで成果を出し続けることが難しいからだと考えます。
現代の研究活動ではなんでもかんでも自力解決するのではなく、問題を分割して個々の問題は各分野の専門家が担当します。研究者の卵たちも早い段階で専門分野を決め、そこで修練を積み結果を出すことを目標とします。各専門家が生み出した知見はインターネットを通じて即座に公開され、興味深いものはSNSを通じて素早く拡散されます。私が学生だった頃と比べても研究の進展するスピードは格段に速くなっています。
研究者が一歩一歩知見を積み重ねて知識に至るのではなく、日々世界中で生み出される膨大な知見の中から、これは、と思うものをすくい上げ組み合わせ、そこに自分の付加価値をつけて世にはなつ。その繰り返しが現代の研究活動といっても過言ではないと思います。
こうして成果を生み出していく研究システムの一部として働くのは確かに生産的です。しかし、自分一人でやれることは大きな研究のごく一部でしかないという無力感、別に自分でなくてもいいのではないかという虚無感がそこから生まれでてくるのは否定できません。それを振り払おうとガムシャラに頑張っても、同じシステムの中で生きている限りは、一時しのぎにしかなりません。
自給自足してみよう
では、どうするか。
たまには自給自足で研究をしてみるべきだと思います。調べたほうが早そうなことに自分の時間を使うのはなかなか勇気のいることですが、やれば必ず達成感が得られます。達成感は自己肯定につながり自信になります。
また、研究生活にはテーマを変えるべき時が必ず来ます。そのとき自分の引き出しが少ないと、変わりたいのに変われないという事態に陥ります。今の時代、変えないという判断が重要なこともありますが、変えれないから変えないというのは危険です。そうしたリスクを避けるためにも自給自足研究は時々はするべきだと思います。
自給自足をしてみると自分がいかに多くのことに依存しているか分かります。また自分の専門外の研究がどれだけ大変なのか(あるいは意外とそうでもないのか)が分かり、良い仕事をしている他の研究者へ自然と敬意が湧いてきます。
自分の専門に特化している人ほど、他の分野のことを極端に貶めたり持ち上げたりします。そうすると研究者同士の信頼関係が崩れ(馴れ合いは一見平和ですが信頼構築を放棄しています)、社会として機能しなくなります。世の中を健全に保つためにも、たまには世の中に背を向けて自給自足生活を送ってみてはいかがでしょうか。